アリス・W・フラハティの「書きたがる脳」は刺激的で痛々しい書物だ。
彼女の納得している合理性に関する記述。
「以前の私には合理性が欠けていた」ということをこう表現している。
いまのわたしには美的、科学的なインスピレーションと宗教的啓示、さらには精神病の状態には何が共通しているか、以前よりもよくわかる。発作が起こる前には、これらはすべてきちんと区切られて別々に存在していた。わたしはどうやってこの知識を得たのか?本書に記した研究によって---だが同時にわたしの身体が、心が、中脳がそれを知っていたから---わかったのであり、それは以前よりもわたしの皮質に大きな影響を与えている。もちろんこれは科学者の考え方には似つかわしくない。できるだけ以前のようなまじめな考え方をしようと努力しているが、もう自分を完璧に科学者とは感じられず、悲しみに満たされると同時にわくわくする。
インスピレーションにより、内部的でもあり、外部的でもある存在を体験するということが、人の呼吸と同期した営みとして合理的な美しさの獲得に資するというのが彼女の言いたいことのようだ。
すなわち、合理的ということは区別した体系的な知にあるのではなく、納得できる体験があってはじめて合理的な理解につながるということのようだ。
中沢新一の若いころの体験を髣髴とさせる生々しい筆致で、たしかに書きたいことは一気に訪れるのだろうということがよくわかる。